2011/10
地質学者 エドムント・ナウマン君川 治


[日本の近代化と外国人 シリーズ 10]

ナウマンの考えたフォッサマグナ
イラスト出典
「フォッサマグナってなんだろう」
(フォッサマグナミュージアム:2008年版)


 長野県の野尻湖畔にナウマン象博物館がある。1948年に付近の旅館の主人が象の臼歯を発見し、これを契機としてその後遺跡発掘調査が続けられている。ナウマン象の化石が見つかったことは日本列島が大陸と地続きであった証拠となる重要な発見だ。この分野に知識が乏しく、「ナウマン象」は長らく象の種類と思っていた。
 ところが、「ナウマン象」の名称は東京大学教授ナウマンに因んで付けられた名前だとわかった。
 ナウマンは横須賀で発見された化石を研究して、アジア象1種ナルバダ象の論文を発表した。1921年、京都大学理学部の槙山次郎博士が、浜松で発見された象の牙・臼歯を研究して、最初の研究者ナウマンに因んで(注1)和名をナウマン象と命名した。
 その後も全国各地で象の化石が発見されている。北海道の幕別町にナウマン象記念館がある。1961年にナウマン象の全骨格の70〜80%にあたる化石47個が発見され、復元象を展示し町興しをしている(注2)。
 注1)ナウマンは論文「先史時代の日本の象について」を発表している。
 注2)ナウマン公園、ナウマン温泉など。


日本地質学の父
 そこでナウマンに興味を抱いて調べてみた。エドムント・ナウマン(1854−1927)はドイツ生まれの地質学者で、陶器で有名なマイセン市の出身。ミュンヘン高等工業学校を卒業後、ミュンヘン大学哲学科U部(注3)でギュンベル教授から古生物学や地質学の指導を受け、在学中に博士号の学位を取得した。卒業後、バイエルン鉱山局(局長ギュンベル)地質部助手となり、ギュンベルの推薦で1875年に来日した。東京大学地質学科、採鉱学科の初代教授として地質学・鉱山学を教え、日本地質学の父と云われている。
 ナウマンの功績は、地質学研究分野で多くあるが、特筆すべきものとしては、地質調査所を設立し、実質的な所長として全国を歩行調査して我が国最初の地質図を作成し、更に等高線付きの地図作製を指導したこと、もう一つは我が国の地質構造を明らかにしたことだろう。
 地質調査所は明治15年に設立以来、我が国の地質調査の研究機関として歩み、戦後は通産省工業技術院地質調査所、現在は独立行政法人産業技術総合研究所地質調査所となって一貫して組織を維持してきた。筑波学園都市の地質調査所地質標本館に行くと、全国各地の鉱物・岩石・化石の標本が展示してあり、自由に見学できる。
 ナウマンの地質学上の大きな業績はフォッサマグナの発見である。日本列島を歩いて観測・調査し、山の形や断層・岩石の状況から推論して、日本列島は大陸側から太平洋側に水平移動し、七島山脈に衝突してファッサマグナが出来たと云う。ファッサマグナは当初ドイツ語でGrosser Graben、その後ラテン語でFOSSA  MAGNAとなり、「大きな溝」の意味だと云う。日本列島の中央部に大きな溝が出来ており、その西縁は糸魚川から静岡、東縁は直江津から平塚へかけて、深さ5〜10kmの溝である。
 西縁は比較的ハッキリしており、糸魚川から大糸線沿いに仁科三湖を通って松本へ、諏訪湖から甲斐駒ケ岳・北岳の麓を通って静岡に至る通称糸静構造線である。東縁は直江津―高田―新井―豊野―長野―上田―小諸―野辺山―甲府盆地―笹子峠―大月―上野原―相模湖―相模川―平塚 となるが、西縁ほど定かでは無い。地質学的なフォッサマグナの定義を、やや長くなるが記してみる。
  ――「フォッサマグナは日本列島の中央部において、これを横断して南北に延びている地帯である。その西縁は糸魚川から静岡構造線である。東縁については、ナウマンは直江津―平塚線とした。ただし、そういう単一の連続した構造線は存在しない。従って東縁は明確では無い。しかし糸静線に沿ってその東側に火山噴火物に富み、厚くて変形の著しい中期岩層が分布している。この中期岩層と糸静線がフォッサマグナを特徴づける最も基本的なものである。中期岩層を覆って新規の火山が列をなして噴出している。フォッサマグナの南の延長線上に七島山脈があって、フォッサマグナと深い関係があることを示唆している。…」――r
 七島山脈に衝突して溝が削られ、日本列島が弓なりに湾曲したと云うのである。
 注3)今でいえば理学部相当らしい。

フォッサマグナミュージアム
 糸魚川のフォッサマグナミュージアムを訪ねた。1994年に開館した「石の博物館」で、糸魚川近辺で採れるヒスイ原石を始めとして、鉱物・岩石・化石が展示してある。フォッサマグナについての展示、日本列島誕生について、更にはナウマン博士の縁の品々を展示した「ナウマン博士の部屋」などが有る。
 ナウマンは20歳で来日し、10年間日本に滞在したが、東京大学教授は2年間で、あとは自ら設立指導した地質調査所で全国各地を約1万km歩いて地質調査したと云われている。
 発表した論文は
 ・火山島大島とその最新の噴火(1877)
 ・日本における地震と火山噴火(1878)
 ・江戸平野について(1879)
 ・蝦夷地における白亜紀層(1880)
 ・先史時代の日本の象について(1881)
 日本の地質構造の研究は進み、現在ではフォッサマグナの東縁は柏崎−千葉構造線と新発田−小出構造線となっている。
 糸魚川はファッサマグナの西縁に位置し、地質学的にも興味ある所として知られ、ユネスコの「世界ジオパーク」に指定されている。(注4)糸魚川ジオパークにはヒスイ岩石の採集される青海海岸や青海川ヒスイ峡、小滝川ヒスイ峡、岩石露頭の観察ができる親不知海岸、塩の道古道など24ヶ所のジオサイトがある。近くには青海自然史博物館もある。
 注4)世界ジオパークには糸魚川の他、洞爺湖・有珠山ジオパーク、山陰海岸ジオパーク、島原半島ジオパークがある。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)





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